【完全保存版】あなたが選んだ「涙」のレース10選
こんばんは。ちゃろです。
いつもご覧いただきありがとうございます。
私はX(旧Twitter)を利用していまして競馬に関する何気ないつぶやきをよくします。
先日のことなのですが何気ないこんなつぶやきをしました。
「馬券」じゃなくて「競馬」で泣いたことありますか?
— ちゃろ (@wankokeiba7) 2023年9月15日
私はボロ泣きはないものの目頭が熱くなることは多々あります。
最近だと
22中山GJ オジュウチョウサン
20秋華賞 デアリングタクト
13オークス メイショウマンボ
13NHKマイル マイネルホウオウ
皆さまの涙腺を緩ませたレース教えてください。
するとまさかの1000人を超える皆さまから回答をいただくことができました。
私は普段、いただいたコメントにはできるだけ返事を書いていまして、今回も200~300くらいはお返事をしたのですが、途中から通知ページの表示が正しくなくなってしまい追い切れずお返事ができないほどでした。
お返事しきれなかった皆さま申し訳ありませんでした。
そして思い出ある涙のレースを教えてくださった皆さま、本当にありがとうございました。
たくさんの方にご回答いただいたのにこれで終わるのは少しもったいないなと考えました。でもいただいたXのコメント欄は1000件もあるのでチェックも大変。
ならばせっかく素敵な意見をいただいてできたこの立派な回答資料をまとめたいなと思いました。
それがこの記事の趣旨です。
皆さまの意見をまとめることで
競馬初心者の人や歴が浅い人には素敵なレースをお伝えしたい
玄人の方や歴が長い方には何度も思い返して競馬に浸ってほしい
そんな気持ちで今、この記事を書いています。
最初はランキング形式にしようと思いましたが、「涙」を生んだ理由は人それぞれに思いが異なるのでそれをランキングにするのは少し違うかなと思いまして、誠に勝手ながら10選という形にしました。
(※注意1)事実上、意見をいただいたものが多い順に並べてはいますが、筆者の多少のさじ加減があります。ご了承ください。
(※注意2)本来は実際のレース映像を見るのがよりわかりやすいのでリンクを貼りたかったのですが、JRA公式YouTubeの映像は二次利用を許可していません。ご自身でそのレースを検索されて実際にレース映像をご覧になることをおすすめします。ブックマーク、お気に入りなどをしていただいて何度もこのページに戻っていただけたら嬉しいです。
それではみなさん、ハンカチの準備はいいですか?
競馬「涙」のレース10選の世界へ行ってみましょう!!
- ①「勇気と感動を与え続けた”飛行機雲”」完全復活のラストラン(21年ジャパンカップ)
- ②「帝王、奇跡の復活」こんなことがあるのか!ドラマよりドラマな結末(93年有馬記念)
- ③17年の時を越えて、天国のオペラオーに届け(18年宝塚記念)
- ④止まった時計が動きだす。大欅を過ぎた夢物語の続きは(22年天皇賞・秋)
- ⑤中山に詰めかけた17万人のコール。「神はいる。そう思った」(90年有馬記念)
- ⑥これが本当に引退レースなのか。強すぎる金色の暴君(13年有馬記念)
- ⑦「ダービー馬の光と影」誰もが待ちわびた復活の時(21年京都大賞典)
- ⑧「もう拍手が止みません!ラストライドだ!初の重賞制覇」(21年京都ハイジャンプ)
- ⑨「この勝利をニッポンに捧げる」ミルコの涙声がドバイに響いた(11年ドバイワールドカップ)
- ⑩「先生に大きな舞台で恩返しができて幸せです」苦労人の初GⅠ制覇に中京が揺れた(22年高松宮記念)
- 番外編その1・悲劇の涙
- 番外編その2・その他の「涙」のレース
①「勇気と感動を与え続けた”飛行機雲”」完全復活のラストラン(21年ジャパンカップ)
新型コロナウイルスの感染拡大により無観客開催も余儀なくされる中、史上初の父子無敗三冠馬となったコントレイル。
しかしアーモンドアイ、デアリングタクトとの三冠馬の競演となったジャパンカップで2着に初めて敗れると翌年になっても勝利を飾ることができず、圧倒的な力を示した誇らしい三冠馬は1年以上勝利から見放されており次走で引退が決まっていた。最後の舞台はジャパンカップ。
4世代のダービー馬の競演と話題になったレースだが、最後の最後、主役はやはりコントレイルだった。本来の姿を取り戻したコントレイルは他馬を寄せ付けることなくあっという間にゴール板を駆け抜けていった。ゴール後、ずっとこの馬と共に戦い続けてきた最高のパートナーである鞍上の福永騎手が感極まってこの馬への感謝を表現した。
終わりの見えない未曾有の時期に勇気と感動を人々に与え続けたコントレイル。
「1年前の雪辱」「完全復活」「有終の美」そんな言葉が似合うラストラン。再び輝いた”飛行機雲”は快晴の大空に感動の虹を描いた。人々は涙と拍手で別れを惜しみ、三冠馬へ最大の感謝を伝えた。
(※筆者より)
今回の「涙」のレースというつぶやきに最も支持を集めたのはこのレースでした。2位以下を引き離した支持で初心者さんからベテランさんまで本当にたくさんの支持を集めました。それだけコントレイルと福永騎手が見せてくれた世界は我々に刻まれているということでしょう。またいつかコントレイルのような馬に出会える日を楽しみにしたいと思います。
②「帝王、奇跡の復活」こんなことがあるのか!ドラマよりドラマな結末(93年有馬記念)
競馬は時に説明ができないような”奇跡”を我々に見せてくれる瞬間がある。
デビューから無敗にして皐月賞、ダービーを制し、帝王と称されたトウカイテイオー。ただ前年の有馬記念ではゲート発走直後にケガよって11着と惨敗し、翌年は休養に充てていた。しかしそこで自身3度目の骨折をしてしまう。そこから復帰の舞台は1年(364日)ぶりの出走となる有馬記念だった。
ビワハヤヒデ、レガシーワールド、ウイニングチケットら錚々たるメンバーの中、4番人気のトウカイテイオーは田原騎手の必死の手綱に応えるかのごとく力を出し切ってゴール板を先頭で駆け抜けた。
田原騎手はインタビューで「トウカイテイオー彼自身が(いろんなアクシデントがありましたから)今までの中央競馬の歴史の常識を覆す彼自身の勝利です」と涙が光り語るシーンは今も競馬ファンの語り草となっている。
本来は翌年も現役続行予定だったが、度重なる故障で引退。この有馬記念がラストランとなっている。奇跡の復活レースで涙、田原騎手のインタビューで追い涙というファンも多かったことだろう。
(※筆者より)
競馬歴が長い方から非常に多く支持を集めたこのレース。30年以上競馬を見ているが今までに泣いたのはこのレースだけという方も複数名いらっしゃいました。
私はトウカイテイオーの現役時代はまだ幼少期でこのレースは当然ライブでは知らない世代ですが、このレースの奇跡は本当に感動しました。この時代を生で見ていた方、本当に羨ましいです。
③17年の時を越えて、天国のオペラオーに届け(18年宝塚記念)
皐月賞の最年少勝利騎手は和田竜二騎手(当時21歳)が保持している。99年のテイエムオペラオーでのことだ。翌00年はこのコンビでGⅠ5勝を含む8戦8勝のグランドスラムを達成。競馬ファンにとってオペラオーと和田竜騎手は名コンビとして歴史に名が刻まれた。
しかしそれから和田竜騎手はGⅠでなかなか勝てず、スランプの年月が続く。
迎えた18年宝塚記念。サトノダイヤモンドやキセキとこの時代を作った豪華メンバーの中、和田竜騎手は7番人気ミッキーロケットに騎乗した。
内枠を生かしインコースでじっと我慢して直線にかけてロングスパート。最後は香港からの刺客ワーザーの猛追を凌いだ。ゴールした瞬間、和田竜騎手は左手で汗と涙をぬぐった。17年ぶりのJRAGⅠ勝利。
「長かったですね。オペラオーが後押ししてくれたのだと思います」
実はオペラオーはこのレースの1か月前、天国に旅立っていた。
和田竜騎手の人柄とオペラオーへの想い溢れるインタビューに人々は胸を熱くした。
(※筆者より)
小学生の私が競馬に興味を持ったのはテイエムオペラオーの影響です。出れば勝つし本当に強く逞しくかっこよかった。当時和田竜騎手があんなに若かったなんて当時は知る由もありません。あれから17年の歳月。ずっとオペラオーを想い続けた和田竜騎手が素敵すぎますね。
④止まった時計が動きだす。大欅を過ぎた夢物語の続きは(22年天皇賞・秋)
98年天皇賞・秋。圧倒的な1人気に推されたサイレンススズカ。グラスワンダー、エルコンドルパサーを退けた毎日王冠の勢いそのままにこの日もハイペースで他馬を大きく離した大逃げを披露する。1000m通過は57秒4。しかし大欅を過ぎて間もなく第4コーナという場所で失速。故障を発生し競走中止、最終的に安楽死となってしまう。
あれから24年後、天性のスピードを持つ逃げ馬が時を越えて府中に現れる。その馬の名はパンサラッサ。向正面の1人旅、1000m通過は57秒4であの日あの時を彷彿させた。
最後の直線で10馬身以上の差。そう、あの日止まった時計が再び動き出したのだ。誰もが見たかった夢の続きをパンサラッサは見せてくれた。
届くのか、届かないのか。逃げ切るのか、差すのか。
そして快速の逃げ馬を唯一差し切り勝利したイクイノックスは後に世界最強という称号を手に入れる。
サイレンススズカに重ねる快速の逃げ馬と世界ランク1位になる最強の差し馬。
両馬の死闘ともいえる名勝負にファンはこれ以上ない感動を覚え、涙を流した。
(※筆者より)
このレースは本当に今回の支持が多かったです。実質数自体は2位かもしれません。記憶に新しいことももちろんあるでしょうが、サイレンススズカとパンサラッサを重ねた人がたくさんいるようです。そしてそこを唯一差し切ったイクイノックス。全く脚質の異なる両馬の魅力がたっぷりと詰まった孤高のレースに酔いしれましたね。
⑤中山に詰めかけた17万人のコール。「神はいる。そう思った」(90年有馬記念)
5歳時にはマイルCS、ジャパンカップを連闘するなど3か月半で6戦を消化するような現在では考えられないローテで当時の競馬界を牽引していたオグリキャップ。
ただし、6歳を迎え安田記念こそ勝利したものの宝塚記念、天皇賞・秋、ジャパンカップと3連敗。近2走は5着にすら入れない惨敗。「オグリはもう終わった」と限界説が唱えられていた。
引退が決まり最後の舞台は90年有馬記念。
現役最後の一戦で「もう終わった」はずの馬が見せたのは奇跡の瞬間だった。
スタンド前に戻ってきたオグリキャップを感動の涙と17万人の「オグリ」コールが迎える。
コールが起きるときは「ユタカ」「ナカノ」など騎手名が主流。馬名のコールはこの時が史上初だった。1つの伝説が新たな競馬史として刻まれた瞬間だった。
(※筆者より)
「神はいる。そう思った」とJRAのCMでも使われた通り、これほどに神がかったレースはなかなかありませんよね。30年以上前のレースとあって、やはり競馬歴が長い方からとても多い支持を集めました。競馬界のヒーローとして社会現象となったオグリキャップ。この馬を超える馬はもう出てこないかもしれませんね。
⑥これが本当に引退レースなのか。強すぎる金色の暴君(13年有馬記念)
2011年東日本大震災の年に三冠馬となったオルフェーヴル。騎手を振り落とすほどの気性の荒さは時に常識を遥かに超える爆発力を生み出していく。
クラシック競走以外にも世代交代を示した11年有馬記念、逸走から驚異の巻き返しをした阪神大賞典、ジャパンカップでのジェンティルドンナとの激闘、日本の悲願まであと一歩に迫った凱旋門賞2年連続2着などファンの心に刻まれたレースは数知れず。
4角で早々先頭に立つと同年代のライバル・ウインバリアシオンや同父のゴールドシップに対し8馬身もの差をつけて有終の美を飾った。
あるアナウンサーは「目に焼き付けろ。これがオルフェーヴル」と叫んだ。
またあるアナウンサーは「圧勝ゴールイン。なんという強さ」と叫んだ。
最後の最後まで自身を貫き通した世紀の暴れん坊、オルフェーヴル。
海外帰りや追い切りの不安説を一蹴した"金色の暴君"の輝きに感激の涙を流したファンは少なくないはずだ。
(※筆者より)
私が社会人になったころはこの時代でした。今のようにネット購入が普及しておらずWINSによく行っていましたね。このレースは確かWINS渋谷で見たような気がします。当時はいろいろ不安説や限界説もささやかれる中で見せた圧倒的存在感はまさに”オルフェーヴル”でした。オルフェーヴルに続く2着はウインバリアシオンではなきゃダメなんだ。そんな意見も多数いただきました。
⑦「ダービー馬の光と影」誰もが待ちわびた復活の時(21年京都大賞典)
16年日本ダービー。サトノダイヤモンドとの追い比べをハナ差で制したマカヒキ。ゴール後、馬上で健闘を称える握手を交わした川田騎手とルメール騎手の姿はさらなる感動を呼んだ。マカヒキはその後、渡仏してニエル賞は勝利したものの凱旋門賞で14着に惨敗するとその後は長い長いトンネルが待っていた。
「ダービー馬なのだからもうこれ以上恥さらしをせず引退した方がいい」
そんな心無い声が聞こえてもマカヒキはひたむきに走り続けた。
迎えた21年京都大賞典。8歳になったマカヒキは全盛期を彷彿させる末脚を披露する。後輩たちをかき分けて残り50mでの大逆転劇。
JRAでの勝利はダービー以来、実に5年4か月ぶりのV。
鞍上の藤岡康騎手は「なんとか間に合ってくれと思いながら追ってました」と話し、幾多の名馬をターフに送り込んだ友道調教師は「康太ありがとう。感動しましたね」と感無量の表情を浮かべた。
待ちわびたダービー馬の完全復活に阪神競馬場に限定入場した4000人を超えるファンからの涙と拍手が止むことはなかった。
(※筆者より)
これは正直私にはすごく意外でしたが、かなりの数の支持がありました。やはりダービー馬は特別なんだなということやダービー馬がボロボロで結果が出なくても一生懸命に走り続ける姿に人は胸を熱くするのだなと思いました。紆余曲折ありましたが、マカヒキも種牡馬になれましたので素敵な産駒をたくさん送り出してほしいですね。
⑧「もう拍手が止みません!ラストライドだ!初の重賞制覇」(21年京都ハイジャンプ)
障害競走は独特の空気がある。まさにこれが感動を呼ぶ。
21年、京都ハイジャンプ。このレースでターフに別れを告げる1人の騎手がいた。その名は三津谷隼人。競馬学校の第31期生で同期には鮫島克駿騎手、野中悠太郎騎手らがいる。15年にデビューをし9月に勝利するも同期では一番遅い初勝利だった。
19年からは活躍の場を求めて障害競走に乗り始めるも成績は伸びずぜんそくの影響もあり21年に引退を発表する。
その引退レースとなったのが京都ハイジャンプ。騎乗するマーニは障害で初勝利をした思い出の馬だった。三津谷騎手とマーニは障害競走の醍醐味である「人馬一体」をまさに体現した。
最後の直線での「もう拍手が止みません。先頭は7番のマーニ。三津谷隼人、ラストライドだ。初の重賞制覇ゴールイン!」
この名実況は見るものを震え上がらせるものがあり、涙を誘った。
レース後「(騎手を)やめるのをやめたいです」と報道陣の笑いを誘った三津谷騎手。現在は調教助手として活躍している。
(※筆者より)
このレースは熱狂的な支持がありました。障害レースでメジャーなのはやはりオジュウチョウサンでしょう。アップトゥデイトとの死闘、中山GJ5連覇、11歳でのGⅠ制覇、引退レースの中山大障害と本当に感動がたくさんありましたが、それと同じくらい三津谷騎手のラストランの支持があり、オジュウチョウサンに比べると少しマイナーなところがありますのでぜひ知ってほしいなとこちらを取り上げました。
⑨「この勝利をニッポンに捧げる」ミルコの涙声がドバイに響いた(11年ドバイワールドカップ)
2011年3月11日。忌まわしい厄災が日本を襲った。
それから約2週間後に行われたのが当時オールウェザー馬場のドバイワールドカップだった。
ヴィクトワールピサを管理する角居調教師は「競馬のために海外へ行って良いのか、悩みました」と語っている。結局ヴィクトワールピサ、トランセンド、ブエナビスタの3頭が出走する。完全に意識はチームジャパン。「日本に朗報を」が3陣営のテーマとなっていた。
レースは4角からトランセンドが先頭、ヴィクトワールピサが並び2頭の追い比べが続き、海外の強者たちを寄せ付けずヴィクトワールピサが先頭でゴール。トランセンドが2着になり日本馬のワンツー決着となった。
鞍上のM.デムーロ騎手は「ニッポンのために祈っていた。ニッポンが大好きです。ありがとう」と語り涙を流した。
ドバイワールドカップ初制覇。日本を愛する言葉。青い目のサムライからこれ以上ない勇気をもらった競馬ファンの涙は止まらなかったはずだ。
(※筆者より)
近年はコロナで無観客などイレギュラーがありましたが、東日本大震災時の競馬はまたそれとは違った異様な空気があったように記憶しています。日本中に喪失感が溢れ、元気を失っている中で、チームジャパンの競馬は本当に多くの人を勇気付けました。「誤解を恐れずに言えば、日本馬になら負けてもいい」角居調教師の言葉も印象に残っています。
⑩「先生に大きな舞台で恩返しができて幸せです」苦労人の初GⅠ制覇に中京が揺れた(22年高松宮記念)
丸田恭介騎手は競馬学校時代に留年を経験し、第23期卒業となった苦労人。デビュー後も1日2回の斜行により計10日間の騎乗停止になるなど苦悩と我慢の時代が続く。18年からは宗像厩舎を離れフリーとなったが大舞台での経験は決して多くなかった。
22年、高松宮記念。死に目とも言われる不利な内枠でも馬の力を信じてじっと我慢しその末脚に懸けた。直線では馬群を捌いて追い出す丸田騎手に応えぐんぐんと伸びるナランフレグの姿があった。上位5頭が0秒1内に収まる大接戦はナランフレグの勝利で幕を閉じた。
奇しくもナランフレグは宗像厩舎の管理馬。
丸田騎手は16年目、宗像調教師は30年目で初G I制覇の偉業を達成した。
「先生に大きな舞台で恩返しができて幸せです」涙を浮かべ天を仰ぎながらインタビューに答える丸田騎手の姿にファンは心を打たれた。
(※筆者より)
努力は報われるとは限りませんが、苦労人の努力が報われた瞬間、やはり涙を堪えることは難しいですよね。やはり騎手の想いというのは特別なものがありますね。そして恩師に最高の恩返しをした丸田騎手は本当にかっこよかったですね。
番外編その1・悲劇の涙
今回は感動の涙を基本的にチョイスしたのですが、悲劇の涙をあげる人も多くいました。書いていて悲しく切なくなってしまうのですが非常に意見が多かった3例をざっとレースを紹介します。
▼「響めきと悲鳴と沈黙の日曜日」
▼ヒールからヒーローへ。孤高のステイヤー淀に散る
▼最高のパートナーを背に、青葉賞のジンクスを破れ
他にも
・横山武史騎手とエフフォーリアの別れ
・後藤浩輝騎手突然の死
・アスクビクターモアの訃報
など突然の「死」や「別れ」に対する涙の意見が多数ありました。
番外編その2・その他の「涙」のレース
さて今回は「10選」として紹介してきましたが、10選ではとてもじゃないけど足りませんよね。惜しくも10選には選ばれませんでしたが、間違いなく「涙」のレースに相応しいと思うものをピックアップしました。ぜひ映像などを探してみて涙を流してください。
▼福永家の悲願達成、念願のダービージョッキーへ!
▼「僕は帰ってきました」鞍上に導かれ、鮮やかな末脚で父子ダービー制覇!
▼何度でも挑み続ける。狙うはただ一つ、頂点への道。
▼天覧競馬。府中に光り輝く閃光と日本を愛した男の最敬礼。
▼年間全勝のレジェンド。すべての包囲網をぶち破れ!
▼「河内の夢も飛んできている!河内の夢か!豊の意地か!」
▼最終年についに出た。南関東の夢を乗せ、無敗の三冠達成!
23年ジャパンダートダービー ミックファイア(御神本訓史)
▼天国の総帥に届け!あなたの日本一の相馬眼、今証明してみせる。
▼どん底を経験したジョッキーの男泣き「騎手辞めなくて良かったです」
11年中山グランドジャンプ マイネルネオス(柴田大知)
▼シルバーやブロンズはもういらない。最後にゴールドに輝く”黄金旅程”
以上、緊急企画でしたが、いかがでしたでしょうか。
競馬の数、レースの数だけドラマがあります。
そして馬の数、人の数だけそのドラマは無限に広がります。
大きなレースだけがすべてではありません。
「出資馬の未勝利勝利で涙した」
「一般的に有名なレースではないが涙のレースはこれです」
なんて声もたくさんいただきました。
もしこの記事を見て、今まで知らなかった感動のレースを知ってもらえたり、悲劇の歴史を知ってもらえて競馬により関心を持っていただければこの上なく嬉しく思います。
今回の何気ないつぶやきからここまで広がるなんて競馬はやっぱり最高だと思います。
これからも競馬を愛し、感謝し、楽しみたいと思います。
皆さまこれからもよろしくお願いいたします。
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